夢うつつに見るは君の面影

「身体の様子が変だって思ってたなら、なんでもっと早く休まなかったんですか!」
「…………」
「風邪はひき始めが肝心なんですから」
「…………」
「大体、食欲ない時点でキャンベル様の場合大事ですよ。いっつもあんなに食べるのに!」
「シンテシス」
「なんです?」
「…少し、黙っていてくれないか…頭に、響く……」
「…………」
 シンテシスは、ぎゅっと絞ったタオルを広げて、キャンベルの額の汗を拭いてやった。
「私、そろそろ行きますから、ちゃんと寝ていてくださいね」
「すまないな」
「いいんですよ、もう…」
 倒れて目が覚めると、こうしてシンテシスが看病してくれていた。冷たい水に浸したタオルを何度も交換したり、水まくらの位置をずらしてくれたり、と献身的に尽くしてくれている。子供を看病する母親のように。ただ、少々うるさいけれど。
「薬置いておきます。飲んでくださいね。あと、ごはんも」
「……あぁ……」
 ぱたん、と音をたてて扉を閉めて、シンテシスは出ていった。キャンベルは、サイドテーブルに置かれた薬と、その隣で湯気をたてている食事を見て、少々げんなりした。どうしても食べる気にはなれない。そんなことが自分の身に起こっているのが信じられず、溜め息を逃がす。大体、なんでこんなことになってしまったのか…。

 キャンベルが倒れたのは昼頃だ。思えば今朝は朝食に来るのも遅かったし、食事も残していた。昨晩は昨晩で、ドンホートからの酒の誘いも断って、そうそうに部屋に引っ込んでしまっていた。
 3日程前、ベネトレイムからの依頼でアスピアの森を視察に行った時に、突然雨がふり、それに打たれたのがよくなかったのかもしれない。頭はぼぅっとして働かない上に鈍痛がするし、身体がいやに重く感じて、だるい。以前はあれくらいの雨に打たれてもなんともなかったのに。遠征後のこの平和な生活で、身体がなまっているのだろう。----いかんな。ちゃんと鍛練を積まないと。
 ともあれ、今はこの身体を治すことが先決だ----。
 キャンベルは柔らかい枕に顔を埋めて、ゆっくりと目を閉じた。

 手の中に槍があった。普段使っているハルバードではない。先端の刃が潰してあり、柄の部分は木でできているスピアだ。騎士見習いの士官学校生に練習用として与えられるものだった。なぜこんなものが?ふと、顎に触れた。考えごとをする時の癖だった。朝整えた顎髭に触れる。けれどそこに髭はなかった。つるりとした、いやに柔らかい顎から頬にかけての感触だけが、手に伝わった。剃ってしまったのか?
 不思議に思って、何度も顎に触れる。だから、背後に誰かいることにすら気付かなかった。
「キャンベル」
 自分を呼んだその声は、ひどく懐かしかった。もう聞くことのできない、低いバリトン。発作的に振り返り、相手を呼んだ。
「とうさん…?」

「キャンベル…キャンベル?」
 名を呼ばれて、起き上がった。目の前には皺のついた枕。手の中にスピアはなく、顎に触れてみると、ちゃんと髭は生えていた。ふいに、頬を触れられた。びくん、と身体をこわばらせて、ゆっくりとその持ち主に顔を向ける。メディオンだった。
「うなされていたよ。大丈夫?」
「………メディオン、さま」
 頬に添えられている手に触れて、それを見つめる。温かくて、柔らかな感触。あれは、夢だったのか。そうだ、父が生きているはずがない。そんなこと、あるわけがない。まぼろしだ。
 キャンベルはそっとメディオンの手を自分から離すと、にっこりと微笑んだ。
「妙な夢を見ましてね」
「風邪のときは悪夢を見ることが多いらしいからね」
「そうですね」
 悪夢か。長いこと、会いたいと思っていた父なのに。悪夢、なのか。
「キャンベル?」
 何か考え事をしている従者に、メディオンは声をかけた。様子がおかしい。キャンベルは不思議そうに自分を見下ろしている主人に気付いて、また微笑むと、口を開いた。
「どうかなさったのですか。風邪がうつりますよ」
「ひどいな。夕食を持ってきたのに。昼も食べていないだろう?」
 くす、と微笑みながら、メディオンはサイドテーブルに持っていた盆を置いた。その隣には、手のつけられていない食器が置かれている。キャンベルは母親に叱られた子供のように、ぽりぽりと頬を掻いて俯いた。
「シンテシスが怒るよ。ちゃんと食べなくちゃ、治るものも治らない」
 匙を手にとって、温かいスープを掻き回しながらメディオンは続けた。人参のスープらしく、鮮やかな橙色をしている。いい香りだ。ぼうっとその様を眺めていると、ふいにメディオンが匙にスープをすくい、目の前に差し出した。
「口開けて。食べさせてあげるから」
「な…」
 何を?と口を開いたその一瞬の隙をついて、匙が差し込まれた。ほのかにあまいスープの味が、口中に広がる。反射的に閉じてしまった瞳をゆっくりと開くと、メディオンがさも可笑しそうに笑っていた。
「自分で食べられますよ」
「いいじゃないか、たまには。昔よくこうしてくれただろう?ほら」
 差し出された匙の中身を、キャンベルは先程と同じ様に口に含んだ。温かいその液体を飲み込む。そんな自分がまるで子供みたいで、おもしろくなかった。けれど、どこか心地よい気もした。こんなこともう久しくやっていない。古い記憶の中に残るのは、まだ年若い母親の作ってくれたスープと、夜中にそっと様子を見に来てくれた、父親の硬い掌の感触。
 ----とうさん。
 まだ、甘い香りが残る口内で、そっと呟いた。ふと、目の前でスープを掻き回す白い手が目に入った。発作的にそれに触れる。いきなり手に触れられたメディオンはその勢いで、匙を落としてしまった。
「…キャンベル?」
 メディオンの声が聞こえているのか、いないのか。キャンベルはてのひらに見入ったままだ。触れて、握って、確かめる。まるで懺悔でもするように、自分の額をそこに押し当てた。てのひらは少し冷えていて、心地よかった。
「………」
 メディオンは無言で、もう片方の手で持っていた皿をテーブルに置き、空いた手で騎士の髪を梳いた。糸を紡ぐように優しく、あの時の母親と同じ様に。心が安らいでいくのを感じた。
「ゆっくり寝るといい」
 目を閉じて、キャンベルはそのまどろみに身をまかせていった。薬を飲まなくては、と少しだけ思った。 

 寝静まったキャンベルに布団をかぶせて、メディオンは部屋を後にした。扉を閉めて、数歩進んでから、懐から小さな小瓶を取り出す。
「シンテシスの言っていたことは本当だったんだな」
『どうせキャンベル様、お薬飲まないんだから、スープにこれを入れておいてくださいね』
 そう口添えされて渡された液体状の風邪薬。小さな子供のためのもので、少しだけ甘くしてあるとか…。

 

 ●おしまい●


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