一本よこせ

 なんでこんなことやってんだ?
 手にした得物とその先にいる人物を見据えながら、ジュリアンはそう思った。考え事をしている余裕はない。なぜならその人物は、やはり得物を携えて彼のみぞおちを狙っているのだから。だが、考えずにいられない。なんでこんなことになっちまったっけ?
 きっかけは酒。それはわかってる。でも、ええと、どういう話の流れだったっけ?

 

「北に行くそうだな」
 ブルザム打破を祝う宴を抜けて、一人外へ飛び出したジュリアンを待ち受けていたのは、キャンベルだった。ジュリアンがメディオン軍に在籍していたとき、よく煙草を頂戴した気のいいケンタウロス。大酒をかっくらい粋な冗談で人を和ませるデキる男。逆にそれが、ちょっと演技っぽくてウソくさい。ジュリアンにとって彼はそういう印象を残す男だった。
「もうその質問飽きたんだけど」
 言いながら、扉のそばで手すりにもたれるキャンベルの傍らに、ジュリアンも陣取る。何も言わずに人指し指と中指をそろえてキャンベルの前に突き出した。自然とキャンベルは自分の懐から煙草の箱を取り出し、ジュリアンにそれを差し出す。そして自分が吸っていたそれでジュリアンがくわえた煙草の先端に火をつける。これまで何度も繰り返されてきたその挨拶。
「まあ、それだけみんな関心があるってことだろ」
「めんどくせえ」
 ぶっきらぼうにそう答えるジュリアンに、キャンベルは小さく微笑んだ。口に充満した煙を吐きながら、言葉もなく二人はその場で立ち尽くした。戦闘中に降り続いていた雪はやむ気配がなく、二人の肩や背に積もっていく。冷気のせいでほんのり火照っていた身体から体温が奪われていく。ケンタウロスは人間より体温高いらしいけど、コイツ寒くねえのかな。指の先ほどまで小さくなった煙草を、雪で揉み消しながらジュリアンはそう考えた。煙草がなくなるとえらく手持ちぶさただ。
 首に捲いたマフラーを捲き直す。煙ではない、冷気によって固められた自分の白い息をぼうっと眺めつつ、マフラーを口元まで上げた。
「なんだ寒いのか」
「そりゃ、な。さすがに酔いも冷めるだろ」
 ほら、と目の前に差し出されたのは炎のように濃度の高い酒だった。
「酒が足りないからだろう」
 特に断る理由もなく、ジュリアンはそれを受け取った。一口飲んでそのまま両手でそれを持つ。旨くはないが不味くもない。ただひたすら強い。
「こんなもん飲んでたら、眠くなって凍死しちまわねえ?」
「これからさらに北上する男のセリフとは思えんがな」
 ちぇ、と舌打ち一つ。隣ではくっくっと喉の奥で笑う声が聞こえる。ちょっと気に食わない。その様子が伝わったのか、キャンベルは彼の肩を叩いた。それが更に気に食わない。光の軍勢のリーダーであろうとも、キャンベルにとって自分は一介の傭兵小僧なのだろうか。ジュリアンは叩かれた手を軽く叩き返した。大袈裟に痛がるキャンベルに、持っていたボトルを投げて返す。
「もういいのか」
「持ってると手が寒い」
 部屋に戻って飲み直すか。踵を返して二歩三歩進んだところだった。
 背後から何か迫る気配がした。殺気ではない。敵意もない。けれど確実にそれは、自分の頭に直撃するだろう。その軌跡だけ読み取れた。とっさに振り返り、二の腕でそれをはじく。なんてことはない、扉回りを掃除するためのホウキだ。
 投げた犯人はひとりしかいない。
「おっさん、どういうつもりだよ」
 俺はまだそんな年齢じゃない。そう前置きして、キャンベルは続けた。
「そんなに寒いのなら、暖めてやろうじゃないか」
 ………は?
 ぽかんと開けた口を閉じる間すら与えてもらえなかった。目の前にはハルバードよろしくモップを携えた、歴戦の覇者がいたのだから。

 

 納得いかねえ。
 ここまでに至る過程を思い返して、すぐ出てきた言葉はそれだった。もらった酒を返したらいきなりケンカをふっかけられた。別におごれと強要したわけでも、かっぱらったわけでもないというのに。なんでこんな目にあわなきゃならないんだ?
 しかも、まずいことにさっきの酒が効いている。別に酒に弱いわけではないが、ウォッカを直にあおるほどの酒豪でもない。そのうえふいうちだ。こいつがなんのためこんなことしてるのか知ったこっちゃないが、あの酒も仕組まれたことなんじゃねーのか?
 そう広くない踊り場で、キャンベルはまるで舞うようにモップをふりかざした。そもそも得物の強度からして差がある。ジュリアンとしては頭上から、脇腹のそばから、さらに足元から、様々な方向から襲い掛かる先端を払うので精一杯だった。藁と布がぶつかるなんとも間の抜けた音だけがそこら中に響く。
 戦闘に転機が訪れるのは、いつも突然だ。キャンベルが両手で操るモップの先端が、手すりの雪を払った。まだ積もり始めだったそれは美しい六花の粒として舞い、ジュリアンの視界を遮る。ほんの一瞬、その白い空間によってジュリアンがホウキを振り上げるのが遅れた。その隙をついてキャンベルは容赦なくモップの先端を彼のふくらはぎへと落とした。ぐらり。世界が反転していく。
 やべえ、足にきてる。
 思うが早いか、ジュリアンはそのままその場に仰向けに倒れた。降りしきる雪が美しい。熱を帯びた頬に触れるそれらの冷たさが、今となっては心地よい。
 カツ、と蹄が床を蹴る音がした。モップで器用に雪をかきわけて、キャンベルは寝転ぶジュリアンの傍らにしゃがみこむ。
「俺の負け」
 なんでこんなことしてんのかわかんねえけど。とにかく、負けた。溜め息まじりに呟かれたその傭兵の言葉を、騎士は静かに聞いていた。なんか言えよ。
 しゃがんだまま、キャンベルは懐から煙草を取り出した。一本をジュリアンにくわえさせて、もう一本を自分で。手間を省くため、火打ち石で二本同時に火をつける。よくあったやり取り。空を見上げたまま、ジュリアンは煙を吸い込んだ。納得いかないいろいろなものを、肺までおいやって、おもむろに吐き出す。白い空気の塊は、煙なのか吐息なのか。こうも冷えるとよくわからない。
「寂しくなるな」
 煙草をくわえたまま、先端にたまった灰を落とすこともせず、騎士はただそう呟いた。誰に向かって言ってるのか。視線は空を泳いでいる。
 ただ二人にわかっていたのは、なんとなく酒を飲んだり煙草を吸ったりする相手が、ひとり減るということだけだった。
 一本吸い終わる。それが合図かのように、ジュリアンは勢いよく立ち上がった。自然としゃがみこむキャンベルの頭が目に入る。彼はおもむろにそこに両手を突っ込んだ。堅い黒髪を思いっきりぐしゃぐしゃと掻きむしる。狙いは、突然のことにあわてふためくキャンベルの懐。幼い頃につちかったスリの技術がこんなとこで役に立った。
「餞別にもらっといてやるぜ」
 反論の隙を与えず、光のごときスピードでそこを走り去った。
 手にしたのは、傭兵の収入では買えない高級煙草と、火のようなウォッカ。
 盗られたのは、常用している帝国製の煙草と、愛飲している酒。
 どうせすぐ腹におさまるなら、前途ある若者のほうがいいんじゃねえ?
 悪戯好きの子どものように、傭兵は微笑んだ。だから騎士も、眉をひそめつつ喉の奥で笑った。
 それが二人の別れの挨拶。戯れのような喧嘩と身体に悪い様々な物を共有した悪友には、さようならなど似合わないのだから。 

 了

 03年のSFオンリー打ち上げで、とららさんとの賭けに負けて書くはずだった「キャンベルとジュリ」ネタです。1年待たせました。ごっごごご、ごめ……! これ書くとき、キャンベルとジュリアンだと飲んでるか吸ってるかどっちかのネタしか浮かばなくて、もっと違うの書きたいなあと思ってたんだけど無理でした。うーん。バラエティにとんだ話をかけるようになりたい。


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