俺の名はハンサム。本名だ。職業はハンターズギルド所属のヒューマー。レベルは130。強すぎるわけでも弱すぎるわけでもない。戦闘中に適度にスリルと快感を覚えられる、そういうレベル。俺自身としてはこれぐらいがちょうどいい塩梅だ。だってさ。1人でなんでもできるようになっちゃうと、かっわいいフォースの女の子からレスタとかしてもらえないじゃん? ムーン使ってもらえないじゃん?
とはいえ、これは本当に俺独自のスタンスなわけで、世の中にはそうじゃないハンターズのほうが多い。ギルドが設定した最高レベル--すなわち、これだけあれば一人歩きもヨユーでできますよ、というレベル。数字にすると200を目指して日々鍛練するハンターズは多い。まあ、確かにカッコイイよね。頂点を極めた達成感も、ものすごいんだろうな。俺とは縁遠いお話だけどさ。でも割と身近に、それを実践するヒト--いやアンドロイドなんだけど--は、いたりするもんで。
これはそんな1人のレイキャストと、その妻のお話。
「あれ? ハンサムくん今日もご出勤?」
掃除と洗濯を済ませてロビーに降り立った俺に声をかけてきたのはテンドーくんだった。自他共に認めるラグオル住民。いや、実際住んでるってワケじゃないんだけど、とにかくロビーやラグオル地表に降りていることが多いためそう言われている。
そんなテンドーくんからすれば、週に1度来るか来ないかの俺がここ数日ロビーにいることがえらく珍しく感じるのかもしれない。俺は彼の隣に座って話しかけた。ピンクと深緑の椅子の上にロングヘアの男が二人。見ようによっては奇妙な光景極まりない。
「なんだよ。俺じゃ不満?」
「いや別に。妹に来させなくてよかったなあって思ってるぐらいだよ」
「むしろ代わって来てよ」
「……ナニするつもり?」
「まだナニもしてないよ!」
「永遠にナニもしなくていいから」
はあ、と大きく溜め息をついてテンドーくんは両手を上げる。やれやれ、といったかんじ。俺も椅子に肘をかけた状態で溜め息ひとつ。ほんと、やれやれだ。
「今日はずっとハンサムくんなの?」
「多分ね。レイキャシルのリリカルはメンテしてるし、王子は別件で動いてるみたいだし」
「……リリちゃんは?」
「ああ……」
もうひとつ溜め息。またこの質問か。
俺が最近こうしてロビーに来ているのにはわけがある。まあ俺もハンターズの一員として、たまにはシゴトしないとなあというのもあるけど、それ以外にもうひとつ。同居人が来たがらないからだ。彼女は俺より高レベルのフォマールで、もちろん実戦経験も多い。装備品も充実しているし、テクニックレベルも申し分ない。そのうえ、マグさえ変えてしまえばハンターよろしく前線でだって戦える。同居人ゆえに一緒に冒険したことはないけど、そこそこ周りのみんなからは頼りにされているのだろう。俺がロビーにおりるたびに「リリちゃんは?」と聞かれる回数は少なくない。
別にそれが腹立たしいってわけじゃない。そこまで子どもじゃない。人にはそれぞれ役割があるし、たまたまその日は俺ではなくリリカルが望まれていただけのことだ。実際、ハンターが足りないからとリリカルと俺が交代することだってある。……まれに、だけど。
それにしたって、最近の回数は異常だ。理由はわかってる。さっきギルドカードを検索した、あのレイキャストのことだ。テンドーくんは聞きにくそうに俺の様子を伺っている。前髪をかきあげてさらに溜め息を落としながら、俺は口を開いた。
「……フェラーリさん、あといくつだって言ってた?」
「70万だったかなあ……」
「それ、多いの。少ないの」
「少ないんじゃない? 次まで430万とかだったらしいし」
「へえ……」
今度は二人同時に溜め息。
「俺、会う度にリリさんはどうしてますかって聞かれるよ」
「生きてるよ。とりあえずは」
「悪い冗談言わない」
「はいはい……」
そう。なぜかリリカルはロビーに来なくなった。それまでは俺がどんなに主張しても、自分が行くって聞かなかったのに、最近じゃ「おはよう」の次に「今日は森に行くの?」と聞いてくる始末だ。これじゃまるで出勤する夫を送りだす妻じゃないか。あの子が挨拶する夫はラグオルにいるというのに。レベル200おめでとう! っていう挨拶と祝辞を言うべき夫がここにいるというのに。
一体どんな心境の変化が9歳の子どもにあったのか、俺は知らない。
俺がわかるのは、俺がここにいるかぎり、あの子はこっちに降りてこれないというシステムだけだ。
すなわち、俺がここにいると彼は彼女に会えない。だから聞かれる。今日はずっとハンサムさんなんですか?
「フェラーリさん、交代したみたい」
沈黙に耐えかねたのか、テンドーくんはギルドカードを検索していたみたいだった。言われて俺も検索してみる。検索結果はさっきのFERRARI.F60ではなく、彼が統括するファミリーの誰かだった。
「リリちゃんが来ない間に、もう1人レベル200になっちゃったりしてね」
それこそ悪い冗談だ。溜め息3つ。
結局その日はテンドーくんと一緒に適当に仕事をこなした。いつものように夕食の買い物をして家に帰って、呑気に1日を過ごした子どもと一緒にメシを食う。いつもの生活だ。風呂に入ってビールを飲みながら二人でテレビを見るのもいつも通り。そして別々の部屋で寝て起きて、俺は掃除と洗濯をしてからまたラグオルに降りるのだろう。そう思ってたんだけど。
なんだろう。ああいうの。魔がさしたって言うのかな。ちょっと違うのかな。まあでも俺も、さすがに毎回毎回尋ねられるのに辟易していたのかもしれない。この子がラグオルに行かないのは別段俺のせいではなく、彼女自身の意思なのだと確信したかったのかもしれない。だからちょっと意地の悪いことを言った。しかも前振りも伏線もなにもなく。
「おまえラグオル嫌いになったの?」
「は?」
間抜けな答え。いや確かに的を得てない質問だったけどさあ。ビールを一口飲んでから言い直す。もうちょっと子どもにわかりやすいように。
「だって最近いきたがらないじゃん。なんかイヤなこととかあったの?」
「あー……そういうことね」
「うん」
返事と同時にもう一口。爽快な喉越しを味わってからテーブルに缶を置く。隣にあったはずのテレビのリモコンがいつの間にか消えていた。チャカチャカとチャンネルが代えられる。落ち着かないときにする、リリカルの癖だった。妙にいらいらするから俺はその癖が大嫌いだ。大人の腕力で奪い取って強引にテレビを消した。沈黙。
彼女は何も喋らない。だから俺もひたすらビールを飲んだ。500mlの缶がカラになっても、まだ手の中で弄んだ。10才に満たない女の子がソファの上で体位座りをしている姿は、普段よりも小さく見えた。
「だって」
嗚咽と共に漏れる声。
「だって、さ」
こういう声を策略も計算も無しに出すから、子どもは嫌いだ。
「200になっちゃったら、みんな、さ」
だから少しでもその声を聞かずに済むように彼女の肩に腕を回す。人の体温は涙を乾かすはずだから。
「もう、こなく、なるって、いう、じゃない?」
ハンターズが戦うのは、レベルのためじゃない。いつかラグオルの大地で暮らせるように調査するためだ。レベルなんてそのための目安にすぎない。それでも頂点を見てしまえば、人のモチベーションというのは下がっていく。だから。
「そんな、の、ヤだ」
だから彼が行ってしまわないように? 彼に来てほしいがために?
おまえが行かないと、どっちにしろ会えないっていうのに……?
頭の中で正論が駆け巡る。ロジックでかためられた筋書きはいつの時代も隙がない。だけど俺達の頭は隙だらけだから、そんな理由で納得できない。
テレビを消したことを後悔した。何か楽しいBGMが欲しかった。
女の涙はキスで乾かせるけど、子どもの泣き声はそんなものじゃおさまらない。だからただ頭を撫でてやることしか俺にはできない。
「行こうよ、ラグオル」
赤い髪。彼のボディカラーと同じ色。こんなとこでも通じてるのよねえ、と幸せそうに笑ったのはこの子だったはずなのに。
「旨いメシ作って待ってるから。な」
しゃっくりのように喉を鳴らしたまま、リリカルはゆっくり顔を上げた。涙と鼻水で汚れた顔をティッシュで拭いてやる。つるつるの頬を親指でなぞると、あることに気付いた。
「それにさあ」
あーこれ言ってやるべきかなあ。言わないほうがいいような気もするけど……。
「お前太ったよ……痩せろよちょっと……」
「バカ!」
クッションで数回叩かれた。いや、数回なんてもんじゃない。慌てて目をあけると、まるでフォース4人がカジューシースをぶんまわした後みたいに羽毛が空を待っていた。え、ちょっと、これ、掃除……。
立ち上がりかけたところにとどめの一発。テレビのリモコンも眉間にクリーンヒットすると、相当イタいんだなあ。世界が暗転していく。酒のせいもあって俺はそのまま意識を失った。
翌朝目を覚ますとテーブルの上に書き置きがあった。
『行って来ます。お夕飯はローカロリーだけどボリュームのあるものにしてください。ていうか、しなさい!』
命令系のそのメモを見ながら考えるのは夕食のメニューと散乱したクッションの残骸の処理のこと。
俺のいつもの日常が帰ってくる。
了
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